なぜ日本にきたの~その1

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クライス オルガン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、ミヒャエルはなぜはるばるドイツから日本に来たの?

この質問は、かなりたくさんの方々に聞かれます。

 

ミヒャエルが子供のころ、日本の古い映画をみたことがあったようです。カラーでもなく、どんなお話だったかも覚えていないそうです。

ただ、その中で、2人の男の子が森で自由に遊んでいる姿があり、その子供たちの母親は、二人を暖かく包み込む愛にあふれた描写がされていました。

この映画で、ミヒャエルの子ども心に、「日本」のイメージが、あこがれのようなものになったのです。

オルガンビルダーとして独立してから、早10年が過ぎたころのことです。

1994年。

近くでオルガンビルダーをしていたケーベルさんが、病気になり、ケーベルさんの工房と彼の仕事を引き継いでほしいとの依頼がありました。

ケーベルさんは、日本全国でもたくさんのオルガンを建てられた方。オルガン奏者の方だったら、必ず知っているお名前です。

そのケーベルさんの作ったオルガンを、日本に運び込む仕事を頼まれたのです。ミヒャエルと、アシスタントは、栃木の西那須野に来日しました。これが、ミヒャエルにとって初めての日本になります。

ケーベルさんは他界され、ミヒャエルがケーベルさんの作られたオルガンを調律することになりました。毎年、日本にメンテナンスをしに来るのです。

関東を始め、関西中部、九州、そして北海道まで、メンテナンスツアーを組み、来日しました。行くところどこへ行っても、歓迎を受け、教会の牧師先生やオルガン奏者さんたちから、日本のことを聞いたり見たり、経験したりする中で、日本を好きになっていきました。

富士山登頂をしてみたり、温泉につかってゆっくりしてみたり。そんなことも、楽しくするようになりました。

~つづく~

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