先日、北海道新聞の記者さんたちが取材に来てくださいました。
子どものころから今に至るまで、少しずつお話をしていきました。私、妻光子は、通訳頑張りました。
そのインタビューの中で、私の知らなかったこともありました。
記者さん
「どうしてオルガンビルダーになろうとしたのですか?」
ミヒャエルは、この質問にゆっくり答えていきました。
悩み悩んだガラスの10代の時、自分は本当はヴァイオリンメーカーになりたかったこと。
でも近くにヴァイオリンを教えてくれる工房はなく、たまたま自分の住んでいる町にオルガン工房があったこと。父親が町のコーラスで歌っていて、その指揮者がオルガン工房のマスターであったこと。
父親は、強制ではなく、「オルガン工房へ行ってみたら」とやさしく背中を押してくれたこと。
始めの3年くらいは、オルガン製作に対し、情熱を注げなかったこと。でも、やっていく中で、仕組みが分かりどんどん楽しくなっていった。
ミヒャエルは、そんな経験を一つずつ踏んで、人生を歩んできたんだと、横で聞いていて、嬉しかったです。
ミヒャエルの作るパイプの音が、深みのある暖かな音であることは確かなのです。
~つづく~