なぜ日本にきたの~その3~

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チェンバロ

 

 

 

 

 

 

 

前回からの続き

 

ミヒャエルから、「日本へ移住しよう」と言い出してから、妻・光子の心は日本で生活することでしか考えられなくなった。

まだ幼い二人の子供たちとミヒャエルと一緒に日本で生活することが、救いであるかのようにも思えてきたのだ。

ドイツから日本へ移住計画が始まった。

ドイツで契約していたすべての物をキャンセルし、少しずつ物を片付けた。

しかし、日本のどこへ住むのか分からずに、夢だけが広がった。

日本のどこに住みたいか。

ミヒャエルは、以前訪れたことのある、北海道黒松内町を指さした。

埼玉育ちの光子にとって、まさに外国である。それでも、知らない土地で新しい生活をしていくことの嬉しさに、何とかなると信じていた。

黒松内町の知り合いをたより、スーツケースで家族で北海道へ上陸した。

季節は、11月も終わり。そう、雪のシーズンが始まる。

何も知らない私たちは、旅行気分だった。

まだ幼い9か月の長男と4歳になったばかりの長女は、秋の装いで。

私たちは、知らなかった。こんなに雪が深いとは。

訪れるだけと思っていた黒松内町に、1部屋だけ空いていた町営住宅があった。お知り合いの方々に取り持っていただき、住むことになった。

その場所は、海の近く。近くのコンビニは2キロ先という過酷な環境であった。

~つづく~

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