北海道黒松内町の町営住宅に一晩とまり、ミヒャエルはドイツへ帰っていきました。ドイツでの最後のオルガンプロジェクトが残っていました。このプロジェクトはそれから1年かかりました。
ドイツでの家を片付けた私たちは、家具や車はすべてミヒャエルのオルガン工房へ置いてきたのです。
黒松内町に着いた私たちは、家族全員高熱を出していました。日本の住所が定まっていなかった私たちには、保険証がなく、医者にもいけませんでした。まだ赤ちゃんだった長男は、離乳食も始められず、母乳だけで来ました。
こんな雪、初めて見た…。
豪雪地帯、根雪、などなど初めて聞く言葉ばかりでした。吹雪も初めて体験しました。引きこもりになり始めていました。
もう、いい加減、落ち着かないと、家族が壊れる。
そう感じた妻は、まずは車を購入すべく、埼玉にいる兄(中古車屋をしている)をたより、安く車を購入させてもらいました。
車が黒松内町に到着するまで、それから1か月かかりました。
その間、ご近所の方々に助けていただき、役場の手続き、銀行開設、洗濯機を借り、せめてもの食事をするテーブルも借りて、食器や簡易的な家具も一人でそろえました。
ミヒャエルがドイツに戻り、家具を黒松内町まで船便で手配しました。
日本に上陸してから、自分たちの家具と生活できるまで、半年がかかりました。
この土地で、しっかり足を踏みしめて生活をしていこう。
ミヒャエルの留守の間、私たちの居場所を作っていこう。そう決心したのでした。
2014年、ミヒャエルがいよいよ日本に移住しました。地域の方と触れ合いながら、少しずつ落ち着き始めました。
黒松内町にあるチーズ工房『アンジュドフロマージュ』さんのバルコニーを間借りして、ドイツから家具と一緒に運んできた、パイプオルガンも設置させていただきました。
妻・光子がそのオルガンで2回ほどコンサートをさせていただきました。本当にご縁が広がり、感謝でした。
現在は、ニセコ町に住み、ミヒャエルの新オルガン工房を建設中です。しっかりと大地に足をつけ、一歩ずつ地域の方々と共に、歩んでいきたいと願っています。
ありがとうございました。
One thought on “なぜ日本に来たの~完結編~”
東京在住の者ですが、日本にあるクライスのオルガンの件でご相談させて頂きたく、ミヒャエルさんにお会いするにはどこに伺えばよろしいかご教示下さい。音響計画株式会社 霜田英麿(03-6804-1058 /shimoda@acoustic-plan.com)