2022年6月ころ、札幌発寒中央病院にあったパイプオルガンを、どなたか必要な方に差し上げるというお話をいただきました。
このホームページにて募集させていただき、たくさんの方々や団体様からお問い合わせをいただきました。
あまりの反響に、こちらもかなり驚きましたが、お問い合わせをくださった方々へお返事を書くことができずに、大変失礼をいたしました。申し訳ありません。
このホームページに目を通してくださり、ありがとうございます。さらに、オルガンの情報をもっと発信していきたいと思います。
さて、このオルガンは愛媛県にある松山学院へと渡っていきました。
去年は、置く場所が決まってなかったようで、とりあえずの場所に設置をいたしましたが、このほどやっとステージ上に置くことが決まり、暑い暑い松山市へ、ミヒャエルと娘・はなが移設をしに行ってきました。
その時、テレビ局の取材をしていただき、このような特集を組んでいただきました。ありがとうございます。
ミヒャエルは、今回「ポケトーク」という翻訳機械を持って、現地の方々と直接会話する努力をしました。また娘は、初めてのアシスタントに入り、父親の姿を目の当たりにし、たくさんオルガンについて勉強をすることができました。
今回の大きな仕事は、「音作り」です。
このオルガンは、病院の中にあった小さな礼拝室のような場所にありました。なので、元々は小さなオルガンで、小規模の人数と賛美を捧げるような楽器でした。
しかし、この松山学院のチャペルは、とてもとても大きなホールであったのです。
ミヒャエルは、頭をひねり考え、どうやったら一番最後の席に座っている人の所まで音が届くか、ずっと考えていました。
実際、頭ばかり働かせていても、現場に行って実際の音の跳ね返り方を体で感じないと、わからないことばかりでした。
映像の中で、ずっと「調律」をしていた、と言われていますが、この調律とは「音作り」のことです。会場全部の席が埋まった時に響く音をイメージしながら、音を大きくならせるための工夫と努力を、ずっとしました。
ミヒャエルは、よく私に話すのですが、「誰も自分のやっていることを理解してくれないし、理解できないと思う」と。
確かに、オルガンの中身を知らないと、何をそんなに長い間こもってやっているのか不思議でたまりません。
パイプを一本ずつ削ったり、パイプの中にある調律弁みたいなのを動かしたり、ミリ単位で動かしているのですから、はたから見たら理解に苦しみます。
しかし、仕上がった時にその仕事全体が見えるのです。
造られた音を一つずつ聴いていくうちに、一番後ろで聴く人が、一番オルガンの良い音を感じることができるのです。
オルガンビルダーの仕事は、ただ木を削って、金属パイプを並べていくだけではありません。
人々の心に届く音作りをしていくこと、そして昔も今も変わらないやり方で、職人の業が光るのだと思うのです。
心に響く音は、どこにいても思い出すだけで、穏やかな気持ちになり、また心が生き返るのです。
ミヒャエルは、たった一人でも、その音に気付いてくれたら、それだけでいいと、言っていました。